ENGINEER
YAMASAKI SHINJI
東関東支店 支店長
1988年入社(工学部 機械工学科卒業)
小さい頃から手先を使うことやモノづくりをすることが好きでした。もともと理系に進みたかったので、大学では機械を専攻。就職活動を迎えた頃は、当時の日本経済をリードしてきた自動車や電機産業が貿易摩擦で叩かれるといった社会情勢で、世間では地球温暖化の問題も騒がれ始めていました。
まだ「環境」という言葉が今のように頻繁に使われていなかった時代ですが、「これからは石油や石炭のような資源に頼るよりも水や空気といった再生エネルギーを扱う仕事がよいのではないか」そう思って調べてみて「設備」というカテゴリーがあることがわかりました。「建物の中で水と空気をうまく循環させて世の中の役に立つ」仕事だと理解して、大学の掲示板や就職センターで数社をピックアップ。会社訪問をして、施工実績・歴史・福利厚生など採用情報を検討し、最終的に決めたのが当社です。
入社したのは1988年。東京支社の工事部に配属になりましたが、初年度は関連会社の配管プレハブ加工会社で研修を行い、実際に配管をし器具を取り付け、施工現場の仕事を身体で覚えました。
約1年で研修を終えて当社の東関東支店工事部に移り、いよいよ施工管理の仕事が始まりました。先輩と一緒に現場に入って、まずは工事の工程の流れ、建築会社が躯体工事を施工したあと我々が配管をして、次に仕上げが入るとか、そういうことを教わります。もちろん実際の施工方法は建物ごと、エリアごとに違ってくるので、その場に合ったやり方をひとつひとつ覚えていくわけです。
千葉と茨城を担当する東関東支店は、東京と違って小さな案件も多くあったので、3年もすれば一人で現場を任されることもあります。そうすると、お金の管理も人の管理も、図面を描くこともすべて自分でやらなければいけない。大変だけど、だからこそ身につくことが随分あります。
東関東支店にいたのは7、8年くらいでしょうか。支店に愛着もあったのですが、東京支社への転勤話を受けて異動しました。そこからたまたま大きなプロジェクトである高層ビルや大手町の銀行の本店ビル、歌舞伎座などの大型現場を任される仕事が続いたのですが、当時はまさに“突っ走っていた”という印象です。現場というのは様々な会社、たくさんの人々が出入りし、協力し合って建物を完成させていくので、大きな現場になればなるほど、いろいろな人とのお付き合いが生まれ、人脈が広がったのが非常にありがたかったです。また会社も私が成長できるように、より厳しい現場、手応えのある現場に配属してくれたのだろうと思います。
東京支社工事部には17年在籍している間に、世の中や社内の様子も随分変わりました。目標や計画を細かく決めて、限られた時間の中で働くようになり、業界全体で作業環境の改善に取り組み、最近では女性の活躍も目立ってきました。何よりも「建物は設備なくして機能しない」という重要性が広く理解されてきたことが嬉しいですね。
工事現場でコストの管理に関わっていると、工事に必要な機器や材料の購入価格を交渉し、いかに利益を出せるかという仕事が面白そうに思えてくるのです。その業務を専門にして全社的に行っているのが本社購買統括部になります。工事部での経験を活かし「購買をやらせてほしい」と希望を出して、それが2013年に実現しました。全店の現場で必要な機器や資材を集中購買する窓口となって、協力会社やメーカーに見積りを依頼し、価格交渉するのが主な業務です。私は特に機器や防災・自動制御などの専門工事を担当しました。大きな金額が動く中で、当社も利益を上げ、協力会社にも利益を得てもらう。また現場ごとに利益を上げるのは当然として、全店の購買量や実績を見渡して、より効率的に購買先の組み合わせを考えたり、ひとつの現場を複数工区に分割して複数の協力会社を選定したりと、会社の経営に関わるところも強く意識した仕事でした。
購買の仕事を4年ほど続けた後、再び東京支社の工事部に戻りました。現在は、以前のように個別の現場を担当するのでなく、各現場の所長や課員を指揮しまとめる管理職の立場です。「品質は最大の営業」は当社のモットーですが、しっかりしたものを作るには、現場に関わる全員が同じ気持ちで、同じ目標に向かっていかねばなりません。そこに導いていくことが私の役目だと思っています。
今後は、東京支社だけでなく会社全体が関連する業務に携わりたいと思います。もともとひとつの現場から始まって、まず課をまとめよう、部をまとめよう、支店をまとめようと一歩ずつ進んできたので、いずれはそれを全店でというのが目標です。